私の離婚ストーリー①〜自分を愛せない私と流産〜

こんにちは。シンギングボウルセラピストの荒川紗枝です。


そこで、私の離婚ストーリーをお伝えします。長くなるかもしれませんが、それでもオッケー!な方、よろしくお願い願いします♪

*・*・*・*・*・

私は24歳で初めてお付き合いした男性と結婚しました。

その頃の私は、とにかく自分に自信がなく、自己嫌悪と自己憐憫でぐちゃぐちゃ。中身も外見も嫌い。

中でも最も自信がない分野が「女性としての私」でした。

結婚してくれる人が現れたことが信じられず、とっても嬉しい反面、事あるごとに夫には

「ごめんね…私なんかと結婚しちゃって…みんなに自慢できるような奥さんじゃなくて、本当にごめん」

と泣いていました。

今思うと、悲劇のヒロイン役を得たこの私に、夫はよく耐えてくれたものです(^-^;

「女性として」の自信がないから、

「母親として」の自信で埋めようとしました。

小さい頃からお母さんになりたかった私。

でも…待っても待っても、赤ちゃんはやってきません。

不妊治療を始めて、生理のたびに泣きました。

子供ができないなら、子宮なんてなくなればいいのに!!!と子宮を殴ったりもしました…。

周りの出産報告や年賀状、みんなからの「そろそろ赤ちゃんは?」の言葉が心に突き刺さります。

…この思いは不妊症の方はみんな一度は、いえ何度も経験したであろう思い。本当に苦しいんです。もし、近くにそんな方がいたら、何も言わずただ一緒にいてあげてほしいです。…

夫は子供はいてもいなくても、という意見でした。

私は、私の苦しみを理解してくれない!!と泣いて怒りました。それも何度も。本当に申し訳ないことをしました。

あの頃の私には夫の愛がわからなかったんです。

そして、不妊治療の末に妊娠することができました。

嬉しくて嬉しくて、目の前にピンク色の世界が広がっていました!

妊娠検査薬を何度見たでしょう。先生の妊娠していますね、の言葉を何度リフレインしたことか…。

子供の名前を考えて、お腹をさすって…。

でも、

流産になりました。

あまりの苦しみと悲しみで、よく覚えていません。

ただ、赤ちゃんがいなくなった子宮を、子宮収縮剤でいたむ子宮を抱えて、夫が寝ている隣で、起こさないように、歯を食いしばって泣いたことを覚えています。

それでも夫は落胆することもなく、ただ私と一緒にいてくれて、

「子供がいなかったら、ふたりで楽しく色んなところ行こうよ!ふたりの人生を楽しめば良いよ!」

と笑顔でいてくれました。

今思うと本当にありがたいことです。

それでも、私は、私の悲しみと苦しみをわかってくれなかったことに、どこか怒っていた気がします。


このとき。

自分を受け入れられない。愛せない。大切と思えない。感謝できない。

そんな私へのギフトが届けられました。

それは一度お腹に来てくれた赤ちゃんからの大切な大切なギフトでした。

この時から離婚へのカウントダウンは始まっていたように思います。

幸せは不幸の帽子を被ってやってくる

そんな言葉を聞いたことがありますが、本当に、そうだったのです。


②に続きます。

Sae Arakawa

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